空気が少しだけ透明になってきて、生きやすい季節になったのだなと私はしみじみ感じ、ペットボトルの紅茶をごくりと一口飲んだ。公園の木々はまだ少ししか色付いていないけれど、その葉はカサカサと音を立てそうな色に変化しつつある。公園には、小さな子供を連れた女の人と昼休み中のサラリーマンのような男しかいなかった。私はベンチに座り、ぼんやりとその様子を眺め、こんなに自分の時間を持て余すのは、実は喜ばしいことであると思った。
 私は、公園の裏にある小さな老舗のハンバーガー屋でさっき買ったトマトチーズバーガーをがさごそと紙袋から出すと、包み紙を丁寧に捲り、一口がふっとかじった。牛肉の香ばしさとチーズのとろりとした濃厚さを久し振りに美味しいと感じ、私、生きてるなあと思った。そういえば、以前、働いていた学校の主任もこの店のバーガーが好きだったなあと思い出す。放課後の生徒指導の合間に主任と「いつか一緒に食べに行きたいですね」とよく話していた。ほんの半年前のことがもう随分昔に思える。



 ある日の休み時間、「もうすぐ授業始まるから教室行きなさい」と生徒を急かしながら階段を上がっていると、後ろから主任に声をかけられた。
「崎村先生は、いつも笑顔で生徒対応していて、感心しますね」
「いえ……そんな……」
 私は笑顔で接することができていたのだろうか。
「崎村先生は、この学校、楽しいですか?」
「楽しいです」
 あの時、私は考えることなく、咄嗟に答えてしまった。今考えてみると、毎日生徒の暴力を止めながら、青あざをつくり、血を流し、それでも楽しいと言えた私は何だったのだろうと思う。
「あなたのその笑顔で、随分生徒たちも救われていると思いますよ」
 主任は少し疲れた笑顔で言ってくれた。彼は、たまたま席が隣だった私によく話しかけてくれた。先輩よりも三つ年下なのに自分が主任になってしまって戸惑ったこと、生徒たちの暴力沙汰にうんざりしていること、毎朝学校に行くことに少し憂いを感じていることなど、本当は上司が私のような下の下にそんなことを言ってはいけないのだろうが、私は彼のその素直さに惹かれた。彼は上手に他人に弱さを見せていた。私はそれまで、教師とは「完璧であること」だと思っていた。しかし、主任の人間らしさは私を安心させた。
 そして、私はその時、主任に何か言葉を返したはずだ。何と言ったのだっけ……。
 私はバーガーが崩れないように、トマトをかじった。ううむ。私は……主任の……。



「主任のキュートさも素敵です」

 私がそう言った時、主任はそれまでの疲れた顔ではなく、いつもの主任らしい顔で声を出して笑っていた。確かに笑顔で救われることもあるのかもしれない。私は実際、生徒の笑顔にも主任の笑顔にも救われていたのだ。主任は今も、あの学校で頑張っているのだろうか。


 この美味しいバーガーを、主任にも食べさせてあげたいなあと思った。
 私は食べ終わると、包み紙をまあるく丸めて、ゴミ箱へと放り投げた。それはきれいな弧を描くと、ぽすんと音を立ててゴミ箱の中に落ちた。


 そろそろ働こうかなと思った。