slow and steady wins the race

 お久しぶりです。元気にしていますか。

 中学生の時には、大変お世話になりました。
 私は本当に英語が嫌いで、中2になっても、3単元が全く理解できていないくらいでしたが、先生がいつも丁寧に教えてくれましたね。先生みたいに一人の生徒に対して、しっかりと向き合ってくれる人はなかなかいません。だから、嬉しかったです。
 それから、教育実習の時のスーツ姿は格好良かったです。とても素敵でした。密かに憧れていたんですよ。

 あれから、私は高校で英語をかなり勉強して、大学に行くことが出来ました。そして、途中でアメリカの大学に編入したんです。そこでは、英語はもちろんのこと、比較文化社会学などを勉強してきました。海外で暮らすというのは、学問以外のことも色々なことを経験でき、全てが勉強になりました。
 英語嫌いだった私からはとても想像できないでしょうね。
 でも、先生がいつも話してくれたアメリカやイギリスのことは、とても興味深く聞いていました。先生からしてみれば、私はぼーっとしているようにしか見えなかったかもしれませんが。
 先生のおかげで、外国に興味を持ち、嫌いなものが好きなものへと変わっていったのは、すごいことだと思います。

 それから、高校入学祝いに先生から頂いた財布は今でも大切に持っています。ありがとうございました。

 今回、手紙を書いたのは引っ越しの片付けをしていた時に、先生からの手紙を見つけ、懐かしくなったからです。そこには、何かあったら連絡するようにとご実家の住所が書かれていました。いきなり、こんな手紙を送ってしまい、ご迷惑だったらすみません。

 ところで、私は4月から中学校の教員になり、英語を教えています。今、私が生徒に教えることが出来るのも、先生のおかげだと思っています。
 先生は今、どこの中学校で教えていますか。いつの日か、一緒に教員として働くことが出来るといいですね。

 それでは失礼します。この手紙が無事、先生の元へ届くことを願います。そして、返事を頂けると嬉しいです。












 初めての生徒から届いた手紙はこういう内容だった。私は、大学生の時に家庭教師をしていたのだが、その時に生まれて初めて「先生」と呼ばれた優しい違和感を今でもはっきりと思い出す。私はとても楽しく教えていたのだが、まだまだ私の指導技術が未熟だったせいで、彼は第一志望には合格出来なかった。それでも、彼は「私立高校のほうが楽しそうだから頑張ります」と笑顔で話してくれた。私はいっぱい謝りたかったのに。そして、あの高校入学祝いの財布も私なりの罪滅ぼしだったのである。素直に喜ばれても困る。
 あの頃、彼はちっちゃくて、ポケモンの話とかクラスの女子の話とかをしてくれる可愛い生徒だったけども、今はどんな大人になっているのだろう。

 私が彼に教えたことは、すぐには彼に還元されなかった。しかし、彼の心に何かを残すことは出来て、それが数年後に形として表れた。
 私は生徒と接する時に、結果を期待してはいない。本当はそうあってはいけないのだろうけど。私はそうである。それでも、数千分の一くらいの確率で、人に影響を与えることが出来れば、やはり教師という仕事はいいなあと思う。モノは残せなくても、人を作ることが出来る。少なくとも、私が今すぐ死んでも、生徒の心にはほんのちょっとでも残ることは出来る。
 いつか、彼と一緒に仕事が出来るといいなあと思う。
 


 そのためには、まず、私は教員にならなければいけないけれども。