至道

 祖母は言った。
「お前は孫の中でも一番かわいいよ。一緒に暮らしているから情が移ってしまったんだねえ」
 私は何だか特別扱いされているようで嬉しかったが、その後、祖母は飼い犬のマルクスにこう言っていた。
マルクスは雑種だけど、ずっと一緒にいるから情が移ってしまったねえ。他の犬よりも可愛いねえ」
 私と犬は同レベルかと思って呆れてしまったが、今となってはその気持ちも分からなくはない。

 そんなことを考えながら、私はステージの上で離任の挨拶を終えた。薄い桃色の花びらが多く舞う三月だった。とても手のかかる生徒が多く、悩むことも多かったが、私は生徒の一人ひとりに愛着を感じていたように思う。一年も一緒に過ごせば、さすがに情が移ってしまうのだろう。

 私の最後の仕事は、校区内巡回であった。そこで平和に任務は終了する。ということはなく、公園では他校の生徒とのトラブルが起きているのだった。当然の如く、私は止めた。喧嘩を止めるのには体力がいるし、怪我もする。残った生徒には指導もする。
「煙草を吸うな」
 私は煙草を奪い取り、火をもみ消す。煙い。
「未成年が煙草を吸うと背が伸びないんだよ。四月からは受験生なんだから、煙草も喧嘩も止めなよ」
「知るか」
「草野、目が血走ってるよ」
「うるせ」
「無理矢理にでも笑え。そしたら、イライラは少し治まるから」
「何で喧嘩止めるんだよ。放っとけよ」
「だって、殴り合うのって痛いじゃん。草野も相手も。痛いのは嫌だから、そりゃあ止めるよね。草野の拳、赤くなってるよ。かわいそうに」
「別に痛くねえよ。それより……」
「ん」
「先生、血、出てる……」
「あ……」
 手を見ると、ぽたっぽたっと血が滴れていた。パンチを受けたときに爪が割れたのかもしれない。
「ほら、これで拭けよ」
 草野はしわくちゃのハンカチを私へ差し出した。 
「へへ。これくらい大丈夫だよ」
「血が出てるのに笑ってるなんて、気持ち悪いな」
 草野も少し笑っていた。落ち着いた草野は優しかった。喧嘩中は、「このままでは殺されるかもしれない」と思うこともあるくらい恐ろしいが、本質は良い子なのだ。
 この仕事は、『一生片思い』の仕事だと先輩に聞かされた。生徒のためにいくら頑張っても、こちらの気持ちが通じることはあまりない。それでも、こんなに一緒に笑えることがあれば、少しは私の気持ちが通じたのではないかなあと思ってしまう。私が一生懸命になれば、こちらの気持ちや伝えたいことも通じるのではないか。







と、思っていたが、今日、久し振りに学校の近くを歩いていると、草野がいつもの仲間たちと公園に集まって煙草を吸っていた。草野は何も変わっていないし、そんなに簡単に変わるわけもない。
 やはり、私は一生片思いなのかもしれないなと思い、公園の前を通り過ぎた。