property in café au lait

「それで?」
 俺は無表情のまま、煙草の火を消した。
「だから、結局は彼のこと諦めきれないのよ」
 もう一時間近くも、彼女の話が続いている。それでも俺は、彼女が言わんとすることが分からない。先刻から同じようなことばかりリピートして、話が先へと進まないのだ。
 俺は彼女からテーブル上のグラスへと眼を移す。グラスの中の氷はすっかり溶けてしまい、気の抜けたカフェ・オレがそこに在る。飲めるような代物ではないと分かってはいたが、口に含んてみた。やはり、美味しいと言える時間はとっくに過ぎていた。
「あなたって冷たいのね」
 俺はちょっと驚いて、彼女を見つめた。
「そうかな。こうやって話を聞いてるだけ、優しいとは思わないか?」
「話してても聞いてもらってる感じがしないもの」
「ちゃんと聞いてるし、頑張れって言ってるじゃないか」
「私が聞きたいのは、そういう言葉じゃないのよ」
 彼女が真に言わんとすることが分からない。例の男を諦められないとは言いつつも、こうやって始終、俺と一緒に居ようとする。例の男が好きなら、そっちを誘えば良いのではないか、それとも、俺のことが好きなのだろうか。俺に言って欲しいのだろうか。「そいつは諦めて俺と付き合えよ」と。
 そこまで考えると、おそろしく不愉快になった。
「今度の日曜、海に行かない?」
 彼女は少し顔を傾けて言った。
「暇だったらな」
「あなたって優しい時と冷たい時の差が激しいわよ」
「俺の態度はいつも同じだ。君の感情次第で違って見えるんだよ」
「ふうん。そうかしらね…」
 俺はもう目の前の彼女のことなんて、どうでもよくなっていた。それよりも、家を出る時に、アンドレ・ブルトンの本をうっかり置いてきてしまったことを悔いていた。
「ねえ、好きな人でも出来たの?」
 彼女が余りにも真剣に、詰まらない質問を投げかけてきたので、返答のしようが無かった。
「よく分からない」
「自分のことなんだから、分からないってことはないでしょ」
「君はもっと時間を有効に使う道を考えたほうがいいよ」
 彼女は怪訝そうに俺を見つめている。彼女も早く気付くべきなのだ。俺たちは捩れの位地にいるのだということに。
「ねえ、帰ったらまた、電話してもいい?」
 俺は返事をする代わりにグラスを持った。それから、間延びしてもう飲み物とは言えないカフェ・オレを空中に放り投げた。それは、綺麗な曲線を描かずに、いくつかの水の塊として、テーブルに叩きつけられた。
 俺はそれを見届けると、静かに席を立ち去った。
 後ろのほうで彼女が何やら言葉を発していたが、俺の耳にはもう届かなかった。
 ドアを押し開けると、心地良い風が、俺を通り抜けて行った。

 今日は、良い天気だ。