cry for the moon

「鏡をじっと見詰めると、何か違和感を感じるんだ」
 彼があまりにも真剣に訴えてくるので、私は思わず笑ってしまいそうになった。
「違和感? どんな?」
「鏡に映っているのは本当の俺ではなく、見知らぬ誰かに見えてしまうんだよ」
「ほう」
「寝る前によく考えることがあってね。自分のこの体はただの入れ物で、俺の本当の体は別の所にあるのではないかと」
「なるほど。宇宙人にさらわれたのだろうか」
「そうではなくて。時々、幽体離脱した気分になって、上から自分の体を見下ろすと、俺ってこういう顔や体をしていたんだっけなあと不思議に思うんだ」
「ふうむ。幽体離脱ねえ。やったことないなあ」
「それをやると、何だか自分の中身と外側が分離しているように感じてさ。でも、考えたり感じたりするのは確実に自分であるから、中身に関しては確かに自分のものだと確証があるんだけど、肉体に関しては自分のものとは感じ得ないんだ。何だか違和感があって」
「そっかあ」
 私は掌をぐっと握り締めると、そのまま彼の頬まで勢いよく腕を振った。勿論、私は拳に衝撃を感じる。
 彼はぽかんと私を見詰めた後、口を開いた。
「何、今の? 何で? どうして?」
「痛かったでしょ? 私があなたを殴ることによって、あなたは頬に、私は手に衝撃を受けた。痛みを感じたでしょ? それは中身と肉体が分離してないってことだよ」
 彼は何かを言いそうにしていたが、何も言わなかった。彼がもし何かを話していたら、私はもう一発殴っていたかもしれない。痣になるかもしれないなあと手の甲をさすりながら、私は言った。
「あなたはあなたであって、それ以外の何者でもない」
 全てを諦めた私が言うのはおかしいかもしれないが、全てを放棄してしまった私だからこそ言える言葉かもしれない。