once in a blue moon

 駅の改札を出たら、階段の横に井上を発見して、思わず顔が緩む。
「出迎え、どうも」
「いえいえ、どういたしまして」
 駅の建物を出て、二人で、とことこと夜道を歩く。
 夜の空気は、昼みたいに運動場の匂いがしない。どこかの家からはお風呂の匂いがしっとりと、はたまた、どこぞの家からは晩ご飯の匂いがほんわりと、それぞれの家庭の時間が外に洩れていた。
「お腹空いたね」
「店に入って何か食べましょうか」
「うん。あれ、あの店の看板、何屋さんって書いてる?」
「すみません。見えません。今、眼鏡もコンタクトもつけてません」
「何で」
「文明に逆らいたいときもあるから」
「ふうん。変なの。まあいいや。良いお店があったら、入ってみよう。それまでは歩こう」
「そうしましょう」
 暫く二人で歩いていると、ある男の人と擦れ違った。彼は携帯電話で彼女にだろうか、必死に愛を説いているようだった。『愛している』との言葉が遠ざかりながらも、何回も聞こえてきた。
 井上の様子を伺うと、前を向いて無表情であった。気になったのは私だけのようだ。
「何だかさ……」
「はい」
「最初は『好き』とか『愛している』とか言われて喜んでいても、そんな言葉は使う程に古びてしまって、そういう言葉をかけられる度に、白々しい気持ちにならない? 若しくはそういう言葉自体が軽々しいというか」
「どうだろうなあ。あんまり考えたことないですねえ」
「ふむ」
「じゃあ、あなたはどうやって、好きだという気持ちを表現しますか?」
「…………」
 確かに、言葉ではなくて、態度で気持ちを表現するというのは難しい。かと言って、I love youをそのまま訳したような言葉を使うのでは脳が無い。しかし、ここで、私がどんなに素敵な仕草を見せたとしも、視力が悪い井上にはそこまでよく見えはしないだろう。
「じゃあ、井上はどうやって表現する?」
 すると、井上は私の方を向き、にっこりと笑った。そして、ゆっくりと空を見上げると言う。
「月が、綺麗ですね」



 正直に言えば、愛を表現するには体を使うしかない、と一瞬私は考えてしまい、少し恥ずかしくなった。頭が弱い。私は、井上の手にそっと触れる。ぎゅっと手を繋ぐ。
 すると、井上もきゅっと返してくれた。
 
「井上と歩くから、夜道も楽しいよ」