夏の思い出

「今日、除霊祭を行う。今から出掛ける準備して」


 午前八時、叔父からの電話で起こされ、私は相槌だけで答えた。昨日、寝たのが二時過ぎだから、睡眠時間は六時間弱。まあいいか、と支度を始める。
 叔父と私は仲が良い。本当の親子のようだ。そして、叔父は何か面白そうなことをする時には必ず連絡をしてくれる。私はそれを楽しみにしている。


 電話で告げられた集合場所、叔父の貸家へ行ってみると、家の前に叔父と二人の女性が立っていた。現在の住人のようだ。そして、私もまた、昔、その家の住人であった。
「おはようございます」
 私が挨拶をすると、彼女たちが気が付いた。
「自分の姪です」
 叔父が私のことを紹介してくれる。続けて彼女たちも自己紹介する。
「はじめまして。川口です」
「はじめまして。みゆきです」
 私の名前と似ているなと思った。しかし、何故ファーストネームを? みゆき、深雪、御幸……一体どういう字を書くのだろう。
「ここ最近、霊が出るのですよ」
 私が字面について考えていると、徐に、川口さんが話し出した。
「え」
「女の人と男の人の霊が。木の傍でこちらを見ているんです」
「はあ……」
 叔父が言った除霊祭とは本気だったのか。彼をちらりと見る。叔父は彼女たちに分からないように、こっそり、にやりと笑った。
「あの、私も以前、この家に住んでいたのですが」
「霊、見ましたか?」
「いえ……」
「この辺りなんです」
 みゆきさんが指差す。家とブロック塀の間八十センチ、奥行き三メートルほどの隙間に、私よりも少し小さい背丈の木が生えていた。私はじっと見つめるが、何も見えなかった。更に目を細めてじっと見つめるが、朝のまぶしい光とゆらゆら揺れる小木しか目の前には存在しなかった。
 以前、占い師に、私の向いている職業は霊能力者だと言われたが、何も見えないし、何も感じなかった。おかしいなあと私は首を傾げる。
 彼女たちは、昨日の夜見たよね、絶対見えたよね、本物だったよね、兵隊さんもいたんじゃないと小声で話している。
「どうするの?」
 私はこそっと叔父に聞いてみた。今まで、窓が壊れたとかエアコンが壊れたとか、そういう類の連絡が借家人から来たことはあったが、霊の相談は始めてであった。
「除霊しよう。ノコギリも準備してあるんだ」
「ええ? そんなんで大丈夫なの?」

 叔父は、除霊するんでちょっと待ってて下さいね、と彼女たちに言い放ち、家とブロック塀の隙間に入って行った。川口さんは驚いたようにそれを見つめ、みゆきさんは心配そうにそれを眺めている。みゆき待たなむ、いざ除霊を。私はぼんやりと百人一首を思い出した。こんな時に、だ。


 叔父は小さな木を持って戻ってきた。うっすらと汗をかいた首筋をタオルで拭きつつ言う。
「さあ、木を切ったので除霊完了です。また霊が現れるようでしたら、ご連絡下さい」
「すみません。ありがとうございました」
 彼女たちはひょこひょことお辞儀をしていた。


 帰り道、叔父に言ってみる。
「ねえ、夜に来たら、私にも霊が見えたのかなあ」
「さあ。単に木が揺れて幽霊に見えたんじゃないの? みゆきさん、薬飲んでるらしいしね。精神病の」
「ふうむ。幻覚だったのかしら。みゆき待たなむ、いざ薬を」
「ああ。御幸ね。藤原忠平か」
「小倉山 峰のもみぢ葉 心あらば 今ひとたびの みゆき待たなむ」
「優雅に暮らしたいねえ」
「やんごとない感じでね」
 家に着いたら、氷を入れた冷たい麦茶を叔父に飲ませてあげようと思った。おつかれさま。