管理する人と管理される人

「おじいちゃん、夕ご飯の時間だよ」
 ベッドに眠るおじいちゃんを覗き込むと、薄い瞼がぴくぴくと動き、うっすらと目が開いた。
「ん? 緋那子かい? お母さんは?」
「お母さんは仕事だから、今日も私が代わりに来たよ」
 私は箸、スプーン、らくのみを準備し、ベッドを起こす。
「今日は、ご飯と吸い物とオレンジと菜の花の和え物だね」
 病院のご飯だけあって、質素だと思う。でも、老人用だからこんなものか。
「今日、仕事は休みなのかい?」
「んー、仕事は辞めちゃった。今はバイトみたいなことしてるけど……」
「最近は不景気だからねえ」
 おじいちゃんは箸やスプーンをぎこちなさそうに使い始めた。米粒や和え物をぽろぽろとこぼす。でも、私は食べさせない。これも脳や筋肉のトレーニングなのだ。


 食事の後、暫くして私が本を読んでいると、急に布団がもごもごと動いた。
「富田次郎です。次は何をすればいいんですか?」
 おじいちゃんが勢いよく言う。私はおじいちゃんの肩にそっと触れて言う。
「もうお薬も飲みましたし、夜ですからねえ。ゆっくり寝て下さい」
「ああ、夜ですか……。分かりました」
 多分、看護婦さんと間違えているのだろう。少し間があって、またすうすうと規則的な寝息が聞こえ始めた。
 その後も数回、何やら天井や壁に向かって話し掛けていたが、私はじっと本を読んでいた。おじいちゃんの痴呆は今に始まったことではない。扱いには母親達よりも慣れている。

 私は床にシートを敷き、自分の寝床を作り始める。まだこの季節だと床が冷たく、窓の隙間からも風が入ってきて、寒い。毛布に包まり、時計を見る。只今0時。あと、5時間寝られるかな? こうやって付き添いとして、病院に寝泊りするのにも、もう慣れた。


 次の日の朝も、割とおじいちゃんの調子は良かった。幻聴や幻覚はあるようだが、暴れだしたりしない分、手がかからなかった。
「おじいちゃん、他の孫たちは来ないねえ」
「ううむ。遠いところに住んどるからなあ」
「たまには来ればいいのにね。寂しいね」
「それより、緋那子は結婚しとったかのう?」
「どうだったかな?」
「どっちじゃ」
「んー、してないよ」
「早く婿殿や曾孫が見たいのう」
 そうだなあ……。彼を連れてきて会わせてあげようかと、一瞬思ったけど、話がややこしくなりそうだったのでやめた。

 その時、ポケットの中で携帯が震えた。個室だから使ってもいいかなと思い、電話に出る。

「もしもし」
「富田です。いつもご苦労さま」
「あ、おはようございます」
「今ね、病院の駐車場まで来てるの。久し振りにお見舞い来なきゃと思って。だから、あなた、もう帰っていいわよ。また夕方からお願いできるかしら?」
「分かりました」
「あ、バイト代は次回でいいかしら?」
「はい、いつでも結構です」

 電話を切る。富田のおじいちゃんが私を眺めている。
「お母さんが今から来るんだって。だから、私はもう帰るね。また後で来るよ」
 おじいちゃんは、こくりと頷いた。

 病室のドアを開く。その瞬間、私は緋那子ではなくなる。本当の緋那子さんてどんな人なんだろう。